高知通運|高知運輸

History

社史

土佐の交通王
野村茂久馬ゆかりの
通運会社です。

私たち高知通運は、明治から昭和の時代にかけて「土佐の交通王」としてその名を知られた実業家、野村茂久馬(1869~1960)が創業しました。

明治2(1870)年、安芸郡奈半利町の豪農に生まれた野村茂久馬は、明治30(1897)年に内国通運会社高知取引店に就職。その年のうちに店主となり、大正初期にかけて日露戦争の戦時輸送や大阪商船会社と結ぶ港湾荷役に奔走していきます。

大正8(1919)年には野村組自動車部(のちの高知県交通、現在のとさでん交通)を設立して高知県内と徳島県池田をエリアとするバス・郵便逓送事業に参画。翌大正9(1920)年には大阪商船会社より汽船八隻を譲り受けて土佐沿岸汽船を設立して沿岸航路に進出(のちに阪神航路も取得)。後免町と安芸とを結んだ高知鉄道安芸線(のちの土佐電気鉄道安芸線)でもその建設や運営にも携わるなど、茂久馬は高知県内のみならず四国各地のあらゆる海陸交通運輸事業に携わり、いつしか「四国の交通王」と呼ばれるに至ります。

茂久馬は桂浜にたつ坂本龍馬像の建立に奔走する大学生たちへも乗合自動車の無料乗車券を発行するなど支援を惜しまず、ライオン宰相浜口雄幸や戦後政治に重きをなした吉田茂、乃木希典や徳富蘇峰らとも交流がありました。自動車王フォードから現在の価値にして約80億円相当もの依頼金で日本総代理店を任された逸話も有名です。

その後、高知通運は茂久馬がはじめて手がけた運送会社である内国通運会社高知取引店から野村組鉄道部、野村運送店を経て、昭和14(1941)年に誕生します。当時地域の物流を支える最大の拠点であった県内各地の鉄道駅に店を構えて荷物輸送を行い、県内のみならず高知と東京、阪神、そして全国各地とを結ぶ運送会社として発展していきました。

茂久馬は戦後、GHQの指示で公職を追放され、奈半利町に引退します。昭和35(1960)年、満90歳で没しました。

グループ沿革

昭和14年 野村運送改め高知通運株式会社創立 資本金18万円
昭和24年 高知県倉庫運送株式会社設立
昭和30年 四国運輸株式会社設立
昭和35年 共栄運送株式会社設立
昭和40年 国鉄コンテナ輸送開始
昭和42年 園芸野菜長距離トラック輸送開始
平成元年 東京に丸高運輸設立
平成4年 株式会社高知トラックサービス設立
平成4年 高知県トレーラサービス株式会社設立
平成11年 高知新港支店開設 通関業開始
平成15年 青海事務所開設
平成18年 高知運輸株式会社設立
平成20年 丸高運輸株式会社設立
平成25年 株式会社八潮運輸設立